森 源太 -もり げんた- 今、伝えたいこと
僕は、普通の人間です。
不登校に悩み『なんで自分なんかに生まれてしまったんだろう』と、自分のことを嫌い続けた学生時代。
18歳でギターと出会い、21歳の時にプロのシンガーソングライターになりたいという夢を見つけた。
できるわけがない、と頭では思うものの、心の声が聞こえる。
一度きりの人生を、後悔しながら生きていっていいのだろうか?
自分のことを嫌いながら、他人を羨みながら
誰かの失敗を嘲笑い、誰かの努力や成功に拍手を贈ることもできないカッコ悪い人間で
本当にいいのだろうか?
自分なんかがプロになれるわけがない。
いつか諦める日が来るに決まっている。
それならば、諦める時に納得できるように
何よりも
自分のことを少しでも好きになれるように
今できることを全力でやろう。
そう決めた。
就職せずに、ギターを持って上京した。
全てがうまくいかず、何回も諦めそうになった。
でも、やっぱり諦めきれなくて唄い続けた。
そして。
ママチャリ日本一周ストリートライブの旅に出た。
そこでの出会いから
全てが動き始めた。
自分なりの岐路に立つ度に、自分に『正直』に決断してきた。
自分自身の心に正直でありたい。
自分の音楽にだけは絶対に嘘はつかない。
自分の歌だけで生きていく、そう覚悟を決めた日から音楽だけで生きてきた。
こんなにも普通の人間が。
不安は誰の心の中にもあるって思う。
そして、心の声は、誰の心の中にもあるはず。
下手クソでも、笑われても、馬鹿にされても、不安でも、怖くても、逃げたくても。
自分の心に正直に、一歩を踏み出そうよ。
ひたむきに歩くその姿は、心を込めて伝えようとするその姿は、絶対に誰かが見てくれているから。
いっぱ悩んで、苦しみ、考えて、そして、一歩を踏み出そう。
自分の一歩を踏み出そう。
その一歩は、必ず誰かの笑顔に繋がる。
そして必ず、自分自身の笑顔に繋がる。
独りじゃないから大丈夫!
仲間がいるから大丈夫!!
ずっと誰にも聴いてもらえずに、それでも何年間も一人で道端で唄い続けた僕が
20年間以上の時間を、自分の歌だけで生きていけているんです。
日本中に仲間がいっぱいいるんです。
夢に挑戦することなく逃げなくて良かった。
自分の心の声に嘘をつかないで良かった。
今日まで唄い続けてきて、本当に良かった。
自分という人間に生まれて、本当に良かった。
心から思います。幸せです。
出会ってくれて、ありがとう。
シンガーソングライター 森 源太
1978年10月11日 生まれ
長崎県西彼杵郡時津町生まれのシンガーソングライター。
高校時代、ある夢を抱くが、挑戦することもなくすぐに諦める。
音楽の授業が一番嫌いな、学校にもロクに行かない内気な学生時代を過ごす。
卒業後、何の目標も夢も無く、ただ流されるままに大学へ進学。
18歳
友達の弾く尾崎豊の(15の夜)にあこがれ、ギターと出会い夢中になる。
21歳
はじめて作ったオリジナル曲を路上ライブ中に出会った人に褒められ大喜び。
「こんげん楽しかことで生活出来たら幸せかろうなぁ」
プロのシンガーソングライターになるという夢を抱く。
周りが就職活動をはじめていく中、これからの自分の人生を考える。
音楽の勉強もしたことの無い自分がプロになれるわけは無い。と、心の中ではすでに音楽をやめる時のことを想像しつつも「いつか来るであろう夢を諦める日に、自分が納得できるように」と、夢を追うことを決意する。
22歳
大学卒業後、上京。
東京の路上で1年間唄うも、全く見向きもしてもらえず、自分の存在価値を見失い、どんどん自分を嫌いになっていく毎日の中、幾度となく全てを諦めそうになる。
「こんままやったらオイはダメになってしまう。何か、挑戦ばしよう。挑戦ばして、そいでん自分の何も変わらんかったらキッパリ諦めて長崎に帰ろう。」
23歳
一念発起してママチャリ日本一周路上ライブの旅に出発。
「いかなる理由であれ、この挑戦を達成できなかったらプロになる夢は諦めよう」それだけを心に決めて。
全財産3,000円を握りしめ、ママチャリに乗り1年7か月をかけ、47都道府県、約8,000キロを走破。
生活費は全て路上ライブにていただいたお金で賄(まかな)う。
日本全国でたくさんの人の優しさや応援と出会い、少しずつ前向きになっていく。
しかし、日本一周後、目標も自信も無くし、またもふらふらとした1年間を過ごす。
25歳
ある人の言葉で、自分の唄一本で生きていく覚悟を決める。
「オイは、自分の歌ば唄うて生きていきたかです!オイの唄ば聴いて下さい!」
覚悟を決めた日から、自分の唄だけでの生活が始まる。
以降、大阪府箕面市を拠点としてシンガーソングライターとしての活動を続ける。
26歳
あるNGOのテーマソングを作ったことがきっかけでカンボジアという国と出会う。
そこで明るく生きる人たちと触れ合い、一緒に唄う中で惹かれていく。
28歳
カンボジアに移住。首都プノンペンにアパートを借り、
路上やスラム街、孤児院や学校、飲食店等で唄いながら1年間をカンボジアで生活する。
29歳
日本へ帰国。
再び大阪を拠点に全国でライブ活動を再開。
全国からライブの依頼、学校での講演の依頼をいただき、日本中を飛び回るようになる。
33歳
初めてとなるベストアルバム『DIAMOND』を発売。
大阪市難波にあるライブホール『なんばHatch』にて、1,500人を集めるワンマンライブを成功させる。
インディーズの歌手としては異例の規模のライブを成し遂げる。
40歳
2018年7月の西日本豪雨災害での支援活動をキッカケに、以降全国各地で発生する水害や震災の被災地での災害復旧支援活動を精力的に行うようになる。
46歳
音楽生活20周年記念ワンマンライブとして、再び『なんばHatch』の舞台に立ち大成功をおさめる。
現在
これまでの経験や、そこから生まれた歌を、子供たちに聴かせてほしい。
先生方や保護者の方々からの声を受け、学校での講演活動も精力的に行っている。
学校での講演を聴いた人からの要望を受け、大人向けの講演会などの活動も増加している。
現在までにCD6枚、DVD3枚、書籍1冊を製作。
これまでのライブや学校講演の総数は2000回を超える。
音楽CDやDVDのみならず、子供たちへのメッセージも込めた自叙伝も出版し、教育関係者や保護者、子供たちから大きな反響を得ている。
カンボジア移住も経験し、現地の孤児院の支援交流活動を今なお続け
また2018年7月の西日本豪雨災害以降は岡山市東区、岡山県真備町で
2019年10月の台風19号被害では長野市で
2020年令和2年豪雨災害では岐阜県下呂市、熊本県人吉市にて
2021年8月には広島県安芸高田市、北広島町にて
2022年 台風災害では新潟県村上市、石川県小松市にて
2023年は和歌山県紀美野町、海南市、山口市、石川県津幡町、京都府綾部市にて
2024年元旦の能登半島地震以降は石川県各所にて
2025年現在も活動中。
各地に滞在しての災害復旧ボランティア活動は延べ日数は460日を超える。
音楽の道
災害支援活動の道
2つの道で大切な想いを伝えるシンガーソングライター