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森 源太(本名)
1973年10月11日 長崎県西彼杵郡にて生まれる。
音楽の勉強も一切することなく育つ。
・18歳、何の目的もなく入学した大学でギターと出会う。
ストリートライブを始め、自分で曲を作るようになる。
『自分の歌ば唄うて生きていきたか!』
夢と出会う。
夢と出会ったことで、いかに生きていくべきか悩み始める。
『自分なんかが食うていけるほど甘か世界じゃなかろうけん、いつか夢ば諦める日の来るとやろうな。
どうせ諦めるとやったら、やるだけやってから、堂々と諦めよう。』
就職せずに、卒業と同時に上京。
東京のストリートで1年間唄うが、誰にも聴いてもらえず、完全に自信をなくす。
・23歳、全くうまくいかない東京での日々に全てを諦めそうになるも一念発起!
ママチャリ日本一周ストリートライブの旅に出ることを決意する。
・2002,3 全財産3,000円と寝袋、そしてギターを持ちママチャリで旅立つ。
生活費は全て各地でのストリートライブのみで稼ぎながら、1年7ヵ月をかけ、47都道府県約8,000キロを走破。
沢山の人たちとの出会いに支えられ、2003,10 日本一周を達成。
・旅を終えた後、目的を失い、ふらふらと過ごす1年間。
『オイは自分の唄で生きていく。』
腹を括り、再び唄い始める。
日本一周の中で出会った縁で大阪府箕面市に住みつつ、全国各地で唄う3年間。
場所も聴いてくれる人の人数も問わないライブ、小学校〜大学まで様々な学校で
の講演&ライブ、イベントへの出演…
沢山の人のご縁の中で、気がつけば年間ライブ数は150本に及び、CDやDVDも制作、レコード会社等にはあえて所属せずに、自分の唄だけで生活出来るようになる。
・大阪を拠点とし、全国で唄っていく中で、カンボジアのスラムで暮らす人たちと出会い、その純粋さ、強さ、そして明るさに魅かれ、カンボジアに通うようになる。
『カンボジアの人は、貧しさの中にあっても笑顔に溢れとる。
オイたちの国・日本の今は、どっか間違うてしもーとるとじゃなかか?』
自分が唄うことを通して日本で何を伝えていくべきか、考え始める。
・2007,5 カンボジアに住むことを決意。
日本で持っていた物はほとんどを処分し、ギターを携えカンボジアは首都・プノンペンへ。
アパートを探し、生活することから始め、プノンペンのストリートや、小学校や大学、日本語学校、外国人が集まるバーや様々な支援団体の施設などで唄ったり、自らも孤児院の子供たちと唄うイベントを行う。
地雷やエイズ、貧しさゆえに、路上やスラムで暮らす大人たち、子供たち。
孤児院の子供たち、水道も電気もない村の人々。
日本人をはじめ、様々な国の人たち。
カンボジアでも、また沢山の人たちと出会う。
日本とは違う悲しみと、そして、その中にも確実に在る笑顔と出会う。
・2008,4〜現在 カンボジアでの1年間の生活を経て帰国。
日本での生活と音楽活動を再開。
・2008,7には、子供も生まれ父親となる。
唄と想いをじっくりと聴いてさえもらえれば、全国どこにでもギターを持って唄いにいきます。
というスタンスで、唄い続ける日々。
※現在までにCD5枚、DVD1枚を製作。
カンボジア地雷除去活動支援イベント『ぜろ祭り』等、全国でライブを開催。
日本各地でのライブを中心に、様々な学校での講演等も行う。
カンボジアでも唄い続け、沢山の人と出会い、そんで日本に帰ってきました。
日本におっても、カンボジアにおっても、本当に沢山の人と出会い支えてもらいながら、今も唄えとるとです。
幸せかです。
心からありがとう。
今まで諦めんで唄い続けてきて良かった。
今、日本でニュースや新聞から流れてくる悲しすぎる事件の数々。
物の豊かさの中で、日本人の心は貧しゅうなってしもーたとかもしれんです。
まずは、自分たち大人たちが明るく元気に生きていくこと。
夢ば持って、希望ば忘れんで暮らしていくこと。
日本での様々な問題、世界の問題、環境問題…。
問題ば乗り越えていく動きは、そこから始まっていくって思うとです。
子供たちが正しゅう成長していける、正しか国になっていったら嬉しかなぁ。
オイはそんげん思います。
そんげん歌ば創り、唄うていきます。
―まず君が、君こそが幸せであるために頑張れ
流す汗と、笑い顔が 違う誰かの幸せにも繋がる―
※『うた』作曲作詞・森源太 より
お互いに、心も体も健康で、頑張っていきましょう!!
出会うてくれてありがとう。
森 源太
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